醜い竹の子論 Ⅱ

日本美術、西洋美術に関心が御座います。アナウンサー大好きです。家庭科教諭を志しております。

好きな人を嫌いにはなれない論。

およそ一年前のブログを読み返してみます。

 

2番目の記事をです。

 

一目惚れしてしまったのが早くも3年前になるんですって。

 

僕には好きな先生がおりました。

 

あの白玉先生です。

 

今年度も異動等なく学校におられておいでです。

 

彼の挨拶を無視して恋が成就したとか何とか書いてありましたね。

 

そんな恋愛成就から丸2年。

 

その先生の事なんてもうどうでもいい。

 

寧ろ嫌い。

 

今は別に好きな先生おるし。

 

とのつもりでした。

 

…。

 

あれおかしい。

 

彼が視界に入るとき、

 

どうしても、どうしても彼の事を意識してしまう…

 

彼の事、つい見ちゃう…

 

そういえばこの前、階段を登っておりました時、偶然にも彼とすれ違っちゃいました。

 

そんな時に備え、僕はいつも下を向いて歩いております。

 

その時も下を向いて歩いておりましたので顔こそ見えなかったものの、シワの一切見当たらない真っ白なワイシャツに、意外にもしっかりとした腰回りに…あの白玉先生だと判断するまでにそう時間のかかりませんでした。

 

こういうの、分かちゃうもんなんです。

 

それと同時に、僕は彼から視線を感じずにはいられませんでした。

 

そして、彼から少し避けられた感否めません。

 

自意識過剰です。

 

でも、彼から少しでも、ほんの少しでも意識されたとしらならば…

 

「あの子だ…。」だなんて思われたとしたのならば…

 

そんな事思ってる内に気づけばもう階段を登り切っておりました。

 

…にしてもどうして未だに好きなのでしょう。

 

どうして嫌いになれないのでしょう。

 

毎度思ってしまいます。

 

一瞬で人の事を嫌いになれるスイッチとかありゃいいのになぁだなんて。

 

無いときた。

 

どうしよう…。

 

そんなモヤモヤ、何処に昇華させるか。f:id:mntk1105:20170427005832j:image

日本美術にです。

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ほんの最近から、西洋美術に引き続きお勉強致しております。

 

てか面白いですね。

 

西洋美術を観てた時なんかには日本の美術になんて一切の興味を持てておりませんでしたので。

 

何がいいのやら…と。

 

そんな人が浮世絵なんかに美を見出してしまうのですから人生も分からないものです。

 

美術に接してる内に自然と美的センスでも鍛わっちゃったのでしょう。

 

てかそうで無い限り、この現象に説明が付けられません。

 

そんな鍛えられたセンスあるこの目で「醜い濡れ烏のありつたけ」とのブログタイトルを読んでみた時、ちょっとダサく感じてしまったのです。

 

この決めてる感。

 

ですので、1周年を機にとも題しましてブログのタイトルを変えたく存じます。

 

タイトル、もう決まっております。

 

「醜い竹の子論 Ⅱ」です。

 

「まいめろちゅっ。」と本気で悩んじゃいました。

 

実は先のタイトル、それこそ1年前のほんの一時期実際に使用しておりました。

 

ですので「Ⅱ」。

 

「竹の子」にも色々な思いが御座います。

 

僕並みのアクの強さ。

 

アク取りゃまあ美味い。

 

美しく凛々しい竹へと成長してく。

 

そんな存在への憧れです。

 

そして、極め付けに僕の父の名前が竹○さんなのです。

 

ですので、小さい頃なんかによく「竹の子やね。」とやら言われて来ました。

 

「竹の子」は最早「僕」だったのです。

 

そして「醜い」だけは譲れません。

 

実際に醜いですので。

 

そんな捻くれた時をこれからも綴ってまいります。

 

自分の事を醜いだなんて思えなくなるその日まで。

 

乞うご期待。