醜い竹の子論 Ⅱ

好きな科目は地理。将来グローバル化させた家庭科の授業をする事が目標。

今虚空

落とされました。

 

大学受験。

 

コクンと頷けた時、受験を舐めていたことをこの上なく気づき得ました。

 

舐めていました。

 

そして、浪人をすることとなりました。

 

不合格を知った瞬間、まずは部屋中を歩き回るのです。

 

でも、何も変わらない。

 

次に布団に崩れるのです。

 

私はそこで、唯一信頼できる母のことを思いました。

 

泣きましたね。

 

でも、面白いのはここから。

 

次に、自分が元から不幸であったことを思い出すのです。

 

その時、パッと切り替わりました。

 

よく考えれば元から不幸だったのです。

 

別に何かを新たに失った訳ではなかったのです。

 

逆に、また受験出来るチャンスがある事に有り難くすら思えてきました。

 

このチャンスはもう無駄にしたくない。

 

落とされた時のあの一瞬の絶望を忘れずに、また勉強を再開させます。

 

いや、もうしてます。

 

それにしても、幸せな人は益々幸せになっていく。

 

それと同様、不幸な人は益々不幸になっていく。

 

興味深い比例法則です。

 

そんな現実を前に、もう死んでもいいかも、と心の何処かで思えてくるのです。

 

とんでもなく幸せそうな人が現に生きている一方、どこまでも落ちた不幸な人間もいる。

 

どこまでも落ちた私には、その幸せな人を見て、嫉妬することしか出来ない。

 

実は、結構疲れています。

 

しんどいのです。

 

そんな状況を打開できるのは努力だけだと、その事はもう既に知り得ています。

 

だからこそまた勉強をしているのです。

 

はあ。

 

死んでもよさそう。

 

死にたいと心の底から切望している訳ではありません。

 

死んでもよさそうな気がするだけなのです。

 

逆に言えば、別に生きている必要が無いのです。

 

今書いたこの言葉、凄くしっくりきました。

 

生きている必要が無い。

 

皆、何のために生きているのでしょう。

 

子供染みた考えです。

 

でも、私が嫉妬したあの人は、何のために生きているのか。

 

その人はただ単に生きています。

 

でも、それは真剣に生きていたのです。

 

確かに生まれ持ったものに違いはあります。

 

しかし、その人は、生まれ持った自分の良さを、そして、その上で培ってきたものを活かしながら、自分の人生を丁寧に、そしてエネルギッシュに創造していたのです。

 

結果、それがその人の幸せに、名誉に繋がったのです。

 

人は幸せになるため生きている。

 

よく聞く文です。

 

でも、大事なことって、その為にこの今この一瞬を如何にデザインできたかっていう事なんだと思います。

 

それが本質なんだと思われます。

 

あの人は、今を生きていたのです。

 

今を幸せにしていたのです。

 

究極今の為に生きていたのです。

 

確かに、私はいつからか今を生きていませんでした。

 

高校も無事に卒業はしましたが、それは大学へ行く為の飽くまで事務的過程としてしか捉えられませんでした。

 

思い出なんて一つもありません。

 

その分か、将来には生きる意義をそれも存分に見出していました。

 

大学生になったら…家庭科の先生になったら…と。

 

将来にやりたい事はたくさんあるのです。

 

でも、肝心のこの今この瞬間にしたい事は何もなかった。

 

生きている必要が無い。

 

正確に言えば「今」生きている必要が無い。

 

しっくりくる訳です。

 

これからあと一年。

 

変な言い方をすれば、浪人生として過ごす初めての一年になります。

 

どうしても将来に息をしてしまいそうなのですが、そんな将来を充実させるべく、この「今」この「瞬間」を充実させるべく、この「今」この「瞬間」に生きる。

 

そんな一年にしたいと思います。