醜い竹の子論 Ⅱ

好きな科目は地理。将来グローバル化させた家庭科の授業をする事が目標。

嫉妬をブチ消す程良い方法。

まず、質問です。

 

あなたを動物に例えるのならば、何に例えますか?

 

私はですね、中学1年生の時でしょうか、近所のおじちゃん宅へ遊びに行った時の事です。

 

部屋には鏡がぶら下がっており、そこに映った自分の顔を見た時、「子牛」みたいだと思えたのです。

 

今でも鮮明に憶えてます。

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性格面でも、穏やかで優しくて、何処か天然ですげー癒し要素がありますので、やはり「子牛」似なのです。

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それでは、本題へ参りましょう。

 

先程、TBSは「オールスター感謝祭」にて、ちらりと青学駅伝部の皆様にお目にかかりました。

 

いつもの私でしたら、強烈な嫉妬心、劣等感で今すぐにでも死にたくなるのですが、その瞬間こう思ってみたのです。

 

彼らは足の速い「ヒョウ」だ。

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あら不思議。

 

死にたいとまでに思わせた先程の強烈な嫉妬心がみるみるうちに消えていくのです。

 

だって、子牛とヒョウは「質的」に違いますもの。

 

比べようのありません。

 

皆さんはもしかしてヒョウの肉をも食べたいでしょうか?

 

いや、それならば仔牛肉を食べたいはずです。

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逆に子牛に速く走れと言われましてもそれは無理なお話しです。

 

おや、そこにイケメン美女カップルが何やら花束なんか渡していい感じの雰囲気ですよ。

 

いつもの私でしたら、強烈な嫉妬心、劣等感で今すぐにでも死にたくなるのですが、その瞬間こう思ってみるのです。

 

かわいい「リス」が交流してる。

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あら不思議。

死にたいとまでに思わせた先程の強烈な嫉妬心がみるみるうちに消えていくのです。

 

だって子牛とリスは「質的」に違いますもの。

 

比べようのありません。

 

リスのルックスに癒される方のいる一方で、子牛のルックスに癒される方も絶対に少数でも一定数はいるはずです。

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おやおや、そこに東大生がいますよ。

 

いつもの私でしたら、強烈な嫉妬心、劣等感で今すぐにでも死にたくなるのですが、その瞬間こう思ってみるのです。

 

賢い「猿」だな。

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あら不思議。

 

死にたいとまでに思わせた先程の強烈な嫉妬心がみるみるうちに消えていくのです。

 

だって子牛と猿は「質的」に違いますもの。

比べようのありません。

 

猿は猿で頭使って生きていきます。子牛は子牛で…地に足つけてゆっくり生きていくね。

 

おやおやおや、そこに大変タチの悪い皆に愛されてそうなお顔の整った大阪府立大学生がいますよ。

 

これは大変にタチが悪いです。

 

よって、いつも以上に強烈な嫉妬心、劣等感で即死したくなるのですが、その瞬間こう思ってみるのです。

 

なんか知らないけど「ベルーガ 」がいる。

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あら不思議。

死にたいとまでに思わせた先程の強烈な嫉妬心がみるみるうちに消えていくのです。

 

だって子牛とベルーガは「質的」に違いますもの。

 

比べようのありません。

 

ベルーガベルーガとして幸せですよ。それと同じ様に子牛は子牛として…ね…幸せになってやるよ。

 

これらのインスピレーションは松下幸之助の御本「道をひらく」はこちらの文章から得ました。

 

本領を生かす

 

松の木に桜の花を求めるのはムリ。牛に馬のいななきを求めるのもムリ。松は松。桜は桜。牛は牛であり馬は馬である。つまりこの大自然はすべて個々には完全無欠でなくとも、それぞれの適性のなかでその本領を生かし、たがいに与え与えられつつ、大きな調和のなかに美とゆたかさを生み出しているのである。

 

一言で言えば「牛はモーで馬はヒヒン」。

 

この文を読んだ時、自分の適性とは何なのか。自分の本領とは何なのかと本気で考えました。

 

自分を卑下する事が習慣となってる自分にとっては大変難しい問題なのです。

 

考えついた言葉は「優しい」とか「面倒見が良い」とかいうありきたりでかつ裏を返せば幾らとでも否定的な言葉に変換出来そうな言葉でした。

 

しかしながら、その「優しさ」を大切にできたのならば如何に豊かか。

 

その「面倒見の良さ」を伸ばすことが出来れば如何に強い武器となるか。

 

そして、そんな自分の良さを、それらを持ち得た自分の事をほんのちょっとだけ大切にしたい、労わってあげたいと思えたのです。

 

やっと「質的」に存在する自分を見つけられたのです。

 

人を量で見るから誰かと比べてしまい、そして、無駄に辛くなってしまう。

 

質で見た時、私は私でしかなかったのです。

 

それは絶対的な自分。

 

絶対の例示が先程のかわいらしい動物ちゃんたち。

 

動物ちゃんたちと同じ様に比べられないのは考え方次第では実は人間でも同じ事の様なのです。

 

自分の適性のある分野で社会に貢献し、適性のない分野は他の人に任せる。

 

嫉妬のいらないシンプルすぎる生き方に、それは真理にこの様にして辿り着きました。

 

これからは、自分を知り、そして自分の良さをもっと伸ばし、それを用いてこの社会に貢献できる様尽力していきたいと思っております。

 

子牛には子牛の本領が必ずあるのです。